就活ではハッタリ力が大事なんじゃないかという話

就活初期の頃はバカ真面目にガクチカを中心に質向上をしていたけど、某コンサルのジョブに参加後からその考えが一変したという話です。

 

そのコンサルは誰しも聞いたことがある会社で、自分は奇跡的にジョブ参加出来ました。ジョブは複数日あり、最終日に発表するスタイルでした。自分は同じチームのメンバーとプレゼン案を作成して発表しました。可もなく不可もなくだったと思います。

 

でもそれ以上に他のチームが凄かった。全員が自信に満ちた顔だし、発表も細部まで練りこまれてました。凄い会社には優秀な学生が集まるんだなと感心したのを覚えています(笑)

 

ただ、終了後の学生のみでの打ち上げで更に驚いたのが、彼らは自分と同じくらいバカだったということでした(笑)地頭レベルが何ら自分と変わんないんです。

彼らは発表案をより良く見せることに長けていました。発表案を分けて担当制にして、その分野では誰にも負けないレベルでの知識量をつける。そして後は自信に満ちた顔をプレゼンを通して崩さない。パワポのレイアウトも綺麗に見えるようにするなどなどです。

 

ここで大事なのは、中身がどれだけ良くても見せ方が下手では意味がないということです。

 

僕たちのグループにコンサルのジョブが初めての人が多かったこともありますが、この時に見栄えの大切さを痛感しました。ここだけ読むと、見栄えさえ意識してれば良しと思えますが、選考要素が強い場、特に短時間勝負では見栄えが大事です。

 

優秀なコンサルタントは質と見せ方が両方とも備わっているんだと思います。

 

思い返してみると、自分が就活中に出会った優秀な人は見せ方が上手いです。中身は最低限は必要ですが、それをどう見せるかで結果は変わってしまうというエピソードでした。

 

見栄えは経験を積むことでしか身につかないと考えます。ジョブに限らず面接でも、話の中身よりも話してて楽しい雰囲気を作り出せるか、頭がよさそうに見えるか。よく言われる陽キャは就活に強いという話はここから来るんだと思います。

 

そう考えるとますます場数を踏んで面接慣れすることが就活に大事だということが分かりますね。。

 

 

就活正攻法の話

就活が終わりました。去年3月から始めたので、16か月やっていたことになります。特にこの半年は就活が生活の一部になっていたから、終わってから数週間経った今、どこか手持ち無沙汰になってます(笑)

 

そんな中で「就活の正攻法」について自分なりに考えてみました。もう一度できるならどんな就活をするかということです。

 

1、とにかく沢山の社会人と話す。

2、夏のインターンで幅広い業界を見る

3、早めにコンサルファームから内定を貰う

4、面接経験を積む

 

1、とにかく沢山の社会人と話す

就活生の一番の弱点は社会を知らないということです。仕事内容然り、キャリアプラン然りですが、知ってるだけで面接官の反応は全く違うと考えます。というのも入社した後のイメージや志望度を訴求できるからです。

 

また自分のキャリアを考える上でも、社会人の話を聞くのは大事です。機会を作るのは難しいですが、40代や50代の方ほどいいアドバイスが聞けるかと思います。

 

2、夏のインターンで幅広い業界を見る

偏に自分の適性を見極められるからに尽きます。各業界の社員には共通するキャラや仕事があって、それに自分が合うか合わないかを考慮します。これは残りの就活で業界を絞る助けになると思います。

 

就活後半になって「あの業界も観ておけば。。」という後悔もなくなるという意味でも良いかと。

 

3、早めに納得内定を貰う

就活後半で精神衛生を保つために、就活初期に内定を貰うのは大切です。該当するのは外資やコンサル、ベンチャーですが、ベンチャーは承諾期限もあるためおススメは外資orコンサルです。通年採用に変わる?と言われる中で22卒がどうなるかは分かりませんが、早めに内定は取るといいです。

 

4、面接経験を積む

就活情報がたくさんあってインプットに事欠かない時代なので、アウトプット量で他の学生との差が出ると思います。

 

アウトプット量を通して、自分なりにアレンジを加えていく事が大事です。面接経験は落ちてもダメージの小さいインターンもそうですが、友達同士も有効です。就活が終わったばかりの就活生がマッチャ―で3月ごろになると増えるので、お願いすると良いです。

 

面接練習に限っていうと、社会人よりも優秀な就活生に頼むのが吉です。彼らをベンチマークに自分の弱点を補填できるし、質問もリアルだからです。僕の場合、社会人にもお願いする事は多かったですが、実際の面接で聞かれる質問は少ないです。

 

できたらの話ですが、自分とバックグラウンドもしくは性格が似てる方だとベンチマークに打ってつけです。

 

以上が就活の正攻法だと考えています。要約すると行動しろ!って話ですね(笑)

 

インタビュー③ 日本からアメリカの医者に

ー大学生時代どんなことをしていましたか?

学生NGO団体に所属して、世界中の国を周り色々な文化に触れていました。それをきっかけに、団体外でのネットワークも広がり世界中に友達が出来ました。

 

授業を休んで海外に行っていたので、留年してしまいましたが(笑)

 

ー医学の分野に携わるきっかけは?

小さい頃は病弱だったんです。入院を繰り返す中で、ある時に読んだナイチンゲールの伝記に感動しました。

 

3歳の時に「わたしナイチンゲールになる!」と言ったのを今でも覚えています(笑)

 

看護師は当時、褒められた職業ではなかったんです。それでも彼女が家族の反対を押し切り戦地に行って、ろうそくを持ちながら負傷した戦士たちを看護する絵を見て、キラキラしてると思いました。

 

「この人のように、他の人のためになる仕事をしたいな」と感じました。当時の私にとって、病院は身近なものだったので輝いて見えたんです。

 

そこから将来ヘルスケアの仕事に就きたいという夢が揺らいだことはありません。

 

ー医学の勉強を始められたのは大学からですか?

そうです。先生方からは医者だから出来ることを常に考えるように言われましたし、その考えは今でも根本になっています。

 

研究におけるすべての過程を学習したことは、アメリカに来てからも役立っています。

 

アメリカに来られた経緯を教えてください。

医学部6年生の夏に、短期でアメリカの病院に研修しにきたのが転機になりました。

 

今までは議論やワークショップ中心だったのが、実際に病床に行って研究することを通じて、もっと勉強しないとダメだと気付きました。

 

また、「私が身を置きたいのはこんな場所だな」とも思いました。

 

女性の先生方がキラキラしていたのも印象的でした。日本だと結婚された先生は結婚前ほど働くことが難しいのを目の当たりにしていた私にとって、その環境は魅力的だったんだと思います。

 

そこからは研修終了前までに病院とコネクションを作り、日本の大学卒業後すぐに戻ってきました。

 

その後その病院に約6年、外科医として働きました。毎日が勉強の連続でとても充実していました。

 

印象的だったのが、同僚の医者の方でデータを用いた医療分析をする方が多かったことです。

 

私は膝に古傷があり、何年かに一回手術をするんですが、その度に訪れるダウンタイムで体を使わずに仕事をする方法を考えていました。

 

そこで、医療データ分析の勉強を5年くらい前から始めたんです。

 

痛め止めを飲んで朝の8時から夕方の4時まで学校に通いました(笑)

 

もともと同僚からデータを使って医療の質を上げる重要性について教えられていたのもあって、この分野の将来性はとても感じていました。

 

フロントラインに立つ臨床チームを如何にサポートするかを、データと臨床知識を基に行うことは、社会に貢献することに繋がる実感がありましたし、これは私の専門性にも繋がるとも思いました。

 

確かにこれまでのような医療でも十分に社会貢献はできます。でもデータを用いた医療はこれから増々重要になると私は思います。

 

これから少子高齢化が進行する中で、医療費の負担は大きくなっていきます。そうなると持続可能な範囲で医療の質を上げることは大事になります。

 

一人の患者さんを救うにしても多くの人が関わっているんです。看護師にしても医者にしても、誰かが無理をすることで成り立つ構造では長続きしません。

 

データを用いて効率化を図ることで、医療に関わる皆さんが無理をせずそれぞれの職業の枠組みの中で仕事が出来る、そんな仕組みを作り出す仕事に私のキャリアを捧げたいと思ったんです。

 

そんなある日、その時も手術後のダウンタイムだったのですが(笑)、友人に「スタンフォード大学で働いてみたら?」と言われたんです。

 

興味本位でサイトの求人を見てみたら、臨床経験があって、医療をデータで分析するポジションが空いていたんです。

 

具体的には、医療に質を上げて必要のないものを減らし、コストを下げて経営利益をアップさせる仕事です。

 

その後すぐに電話面接をし、日本に用事があったので一旦帰国してからスタンフォード大学に対面面接しに行きました。オファーをもらってからは引っ越し準備して直ぐにカリフォルニアに来ました。

 

手術後すぐだったので、全ての移動を松葉杖でこなしましたね(笑)

 

ー仕事内容を詳しく教えて頂けますか?

 

私のチームは臨床ではなく病院の経営部門の1つという扱いです。

 

私たちは病院全体のデータを見ることで、どこの患者さんの余地がありそうかを確認し、患者さんごとに細かくチェックしていきます。

 

あとは先ほども言ったように医療の現場では様々な人が一緒に仕事をしているので、コミュニケーションがボトルネックになります。

 

そこで私たちは対応が遅れないように、経営層と連携を取りつつ現場に具体的な指示を送ります。

 

患者さん一人一人の入院から退院までのガイドラインを現場でのシステムに組み込むんです。

 

アメリカはマニュアルをシステムに組み込むことで改善する文化があります。日本は特定の誰かに頼って改善することが多い印象ですね。

 

ー実際に働かれる中でやりがいを感じるのはどんなときですか?

 

自分たちの提案した施策が病棟で実際に使われているのを見た時ですね。

 

私たちが作成したガイドラインに沿って患者さんが生活しているのを見ると嬉しいです。

 

ー経営層や現場と交渉する作業は骨が折れるかと思うのですが、なにか工夫されてることはありますか?

 

まずは普段から信頼関係を築くことです。

 

2つ目は、データを活かした提案を意識することです。感覚での対応も大切ですが、データ解析の結果を示すことも重要です。

 

これはただ分析結果を話すのではなく、説得内容を様々な視点から考えてストーリーを作るということです。そのためにデータが必要なんです。

 

ストーリーとは、客観的に現状を伝えるところから、その問題の解決策を提示するまでです。

 

このストーリーをいくつも考え、データが最もサポートできるものから順に優先順位をつけ、それぞれになぜこの解決策が出るに至ったか迄の理由付けも行うんです。

 

いわゆるコンサルティング的な役割ですね。

 

ー異なる分野に精通するエキスパートの方が最近のアメリカでのトレンドになっている気がするのですが、どう思いますか?

 

他の分野はわかりませんが、医療、データ、ビジネスを掛け持っている人は強いと思います。

 

私も以前夜間のビジネススクールに行っていたこともあるのですが、一時的なものであったので、勉強を再開させたいです。

 

どの分野にも言えますが、同じ言葉を話すことは大事です。

 

医療の場合は、ビジネスの方と臨床の方、データサイエンティストの方とでは話す用語が異なります。

 

どの職業も必要不可欠ですし、それぞれを繋ぐという意味でも異なる分野を理解することは重要だと感じています。

 

ー日本とアメリカとで医療の現場での違いは感じますか?

 

私は日本での現場経験が浅いので考察も短絡的になりますが、日本はフロントラインへの期待が大きいと思います。

 

従業員の能力が高いことに依存してしまい、誰かが無理をしてしまっている構造です。

 

だから効率性を考慮せず、それぞれが自分の時間を犠牲にして勤しむという結果に繋がっています。

 

アメリカはシステマチックに全体を作り、その通りに従業員を働かせようとしている印象です。

 

あとアメリカはオンとオフがしっかりしていますね。オフの時に仕事の連絡を受けても気にしないことが多いです(笑)寧ろそれで仕事をしたら問題になります(笑)

 

ただ緊急の要件にも対処できるようにチームでタスクを共有し、チームで対処します。

 

つまり、従業員のQuality of Lifeが保証されている感じです。「家族の時間」への考え方が違うのかなと思います。

 

医者1人が受け持つタスクの量が全く違うんです。誰でもできるペーパーワークは事務に任せ、医者だから出来る仕事に集中できる環境が整っています。

 

高い給料を払って簡単な仕事をさせることは、働く側、働いてもらう側両方にとってもったいないですよね。

 

ー逆に日本の良さは何だと思われますか?

 

勤勉さ、真面目さです。良さを引き出す構造を経営層が作ることが大事なんじゃないかと思います。

 

ー日本に戻って仕事することは考えたりしますか?

 

私の強みは臨床、データ、経営の視点から医療現場を効率化することなので、そうした仕事でお手伝い出来たら嬉しいです。

 

ー将来取り組みたいことはありますか?

 

医療ケアをRedesignする取り組みをアメリカ中に普及させたいです。そのために私たちがモデルになれば嬉しいし、他の病院に赴くことも考えています。

 

あと自分を育ててくれた日本への恩返しもしたいです。日本は医療データが足りないので、まずは使えるデータを集める構造を作るところから携わりたいと思っています。

 

そこから医者への負担が大きい今のストラクチャを変えられたら良いですね。

 

ー学生へのアドバイスがあればお願い致します。

 

勉強しましょう!!

 

私が今凄く感じるのが学生の時にもっと勉強していればということです。

 

学生のうちは勉強するように言われても意味が分からないかもしれませんが、勉強しないと社会に出てから後悔することが多くなるんじゃないかと思います。

 

では何を勉強するべきか。まずは客観的に自分の強みを考えるところから始めましょう。

 

本を読むよりも色んな人と話す方が良いです。そうすれば自分の強みやそれが生かされる場所が見えてくるはずです。

 

分からないことがあればその都度、もがくべきですし、人に会うべきです。

 
 

インタビュー② 日本企業からアメリカのオペラへ

ー学生時代にされていたことについてお聞かせください。

 

高校時代はテニス部でしたが、バンドをより熱心にやっていましたね。

小さい頃から宇宙物理に興味があったので、大学からは理工学部の物理学科に入りました。

 

大学院でも物理を専攻しましたが、東大の宇宙物理の権威である佐藤教授の講義を聞いた時に、宇宙物理の奥深さを知るとともに、自分が生きている間には答えにたどり着けないと思い、方針転換しました。

 

ー卒業後にA社に入社した理由は何だったのですか?

 

大学3年生の時に訪れたニューヨークで観たミュージカルに感動して、「将来はミュージカルに携わる仕事がしたい」と決めたんです。

 

どんな仕事があるか調べたところ、アーツマネジメントという学問があることを知り、将来はアメリカに来て勉強しようと思いました。

 

でもそのためには資金が必要だったので、就活で内定を頂いた企業の中で収入の面と、娯楽をエンドユーザーに届けるスキルを磨けるところはどこかと考え、A社を選びました。

 

ー小さい頃からミュージカルなどのアートに関心があったのですか?

 

昔から”宇宙に関わる仕事”、”医者”、”音楽”のどれかに携わりたいと思っていましたね。

 

当時の日本だと、音楽をやりたいと言っても演奏する側が大部分ですし、私自身もそんな仕事をイメージしていました。ただ私は人前で演奏するのは好きではなかったので、真っ先に音楽の仕事は諦めたんです。

 

その後、物性物理をずっと勉強していたのですが、ニューヨークで見たミュージカルに衝撃を受けて、この仕事に携わると決めました。

 

ーもともとミュージカルに興味があったわけでは無かったんですか?

 

全くなかったです。旅行でニューヨークに訪れた際に、「ニューヨークと言えばミュージカルだろ」と思って観に行きました(笑)

 

ー入社する際にミュージカルへの憧れについて何か言われましたか?

 

もちろん面接ではミュージカルについて言及しませんでした。

 

私が入社する年くらいまでのA社の面接は変わっていて、姉の職業を聞かれたり、高校の時に経験した面白いことについて聞かれました。

 

それこそ私がしていた研究の話は一切されませんでした(笑)手ごたえはなかったのですが、なぜか内定を貰えましたね。

 

社員の間で言われてたのは、当時の役員で元人事部長の大御所が姓名占いとインスピレーションで決めてたって事ですね。

 

ー6年いて、その後アメリカの大学院に行かれたんですよね?

 

私は日本でアート系の大学を卒業したわけでは無かったので、当初は学部から入らないといけないと思い、4年分の資金が必要だと思っていました。

 

でも日本でマスターまで取っていたので、音楽活動をしていたことをリファレンスで書ければマスターに直接入ることが出来ると言われたんです。

 

ーアートマネジメントは具体的にどんなことを勉強するんですか?

 

ビジネスをアートに特化して勉強します。私の大学ではその中でもパフォーミングアートに特化していました。

 

パフォーミングアートではファイナンス、集客、マネジメント、ファンドレイジング、イベント企画を満遍なく学習しました。

 

インターンはどのように探していたのですか?

 

最初は大学のシアターでインターンしました。というのもアートの仕事以前にアメリカで働いた経験すら無いので、とにかく実績を作るのが先決だと思ったからです。

 

単位は必要な分だけ取って、あとは大学に籍だけ残してインターンしましたね。

 

私の場合はF1ビザだったので、ビザが切れると日本に帰国しないといけません。

 

だから大学に籍だけ残してインターンをして、良さそうなインターンを見つけたらあとはOPTで働いて就職できればいいと思っていました。

 

基本的にインターンはインターネットで探して、メールか電話で連絡って感じです。

 

突撃で連絡を取ることは少なく、募集をかけているところに連絡することが普通でした。

 

インターンの経歴を簡単にご紹介ください。

 

最初は大学のシアターでマーケティングインターンをしました。

 

その後、DC周辺の芸術団体と提携してアート教育を提供する仕事をしました。

 

次にパフォーマンス団体で働きました。様々なアーティストと契約してパフォーマンスを提供するFundraising Gala担当です。

 

毎年どこかの国の大使館と協同で取り組むのですが、その年は日本だったのでイベントを日本風にするための手伝いをしましたね。

 

その次がシェイクスピア専門の演劇カンパニーで働きました。シェイクスピアの時代のStaging Conditionを模しているのがユニークでした。Managing Directorの仕事がメインです。

 

あともう一つ、芸術教育を提供する機関で働いた後にSeattle Operaインターンしました。

 

ー他業界からアートの道に転身した人はいましたか?

 

私が入学した2009年のアーツマネジメント学部ではあまりいませんでした。学部での割合は7割アメリカ人、3割が留学生でしたね。

 

アメリカに来たきっかけがミュージカルだったのにオペラに変えたのは何でですか?

 

ミュージカルへの憧れは勿論ありましたが、もともとクラシックをやっていたのでオーケストラ、特にシンフォニーに興味がありました。

 

アメリカの大学在籍時に行ったコンサートでも、シンフォニーもやっぱり良いなと思いましたし、シンフォニーかミュージカルかでずっと悩んでました。

 

インターンでは色んな音楽を経験し、シアトルでインターンしたときに、オペラだと演劇もオーケストラもあるのでどちらも勉強できると思い、オペラをもう少し追求しようと決めました。

 

だからその後の就職活動はオペラをメインに探していました。

 

ーシアトルオペラでの印象に残るエピソードはありますか?

 

ワグナーの超大作である「ニーベルングの指輪」をオペラで上演したときですね。

 

この作品は4作で完結するのですが、普通のオペラでは1作しか上演しません。というのは4作だとあまりにも長いからです(笑)

 

4つ目の作品だけでも5時間半かかります(笑)

 

でもシアトルオペラでは毎回4作を纏めて上演しています。1年かけてだと費用が掛かるので、1週間に4作品を上演するサイクルを1か月間で4回するという感じです。

 

私はプロダクションのインターンだったので、リハーサルから全て関わる必要があり、流石にその時は大変でした。

 

でも何度も観ていくうちに細かい点にまで目が行くようになって、それはそれで面白味はありました。

 

ーその後に現在のオペラに就職したわけですね?

 

そうですね。シアトルオペラは知名度のあるオペラでしたし、ここからは就職活動に専念することを決めました。

 

ただ就職してしまうと日本に帰る機会も減るだろうから、ということで2か月ほどゆっくりしました。3年ぶりの日本でしたね。

 

そこからアメリカに戻ってから現在働くオペラを見つけて働き始めました。

 

ーどんな方法で探されたんですか?

 

Wikipediaアメリカのオペラカンパニー、シンフォニーカンパニーを調べて、Excelにリスト化して1個ずつアプライしていきました。

 

ー面接で絶対聞かれる質問はありましたか?僕がアメリカでインターン面接したときは毎回「君を採用する会社のメリットは?」と聞かれました。

 

「貴方何か質問ある?」って質問ですね。あとはポジションに関する質問だったりです。

 

私ほどインターンをする人はいないので、面接ではよくインターン実績について驚かれました。

 

ー現在の仕事内容を教えてください。

 

私が所属するのはDevelopment Departmentで、役職名はIndividual Giving Managerです。

 

アメリカのパフォーミングアートはNYのブロードウェイを除いて基本的にはノンプロフィットになっています。

 

チケットセールスで賄えるのは予算の半分ほどで、残り半分は寄付という形が普通です。

 

寄付というと日本人が一番イメージしやすいのはコーポレートスポンサーで、次が財団からの寄付だと思います。でも私たちのオペラへの寄付の約7割は個人のお客様からです。

 

それに関連した仕事として、寄付してくださった個人のお客様との付き合い、寄付してくださるお客様の開拓、寄付してくれたお客様を招いたイベントの運営があります。

 

ただ資金を集める方法はもう1つあって、それをスペシャルイベントと言います。私たちは1年に3回行われるイベントを行っています。

 

私の仕事は、寄付を募るイベント運営と寄付してくれたお客様対応です。

 

ー新規の寄付はどのように開拓するのですか?

 

決まったやり方はありません。

 

シングルチケットを買ってくれたお客様にシーズンチケットホルダーになってもらい、寄付を募るのが一般的です。

 

この最後の「寄付を募る」というステップが僕が担当している仕事ですね。

 

寄付してくれたお客様には継続して寄付してもらい、あわよくば寄付額を上げてもらうように交渉します。

 

大口の寄付者は役員の知り合いであることが普通です。

 

ー日本のオペラに携わる予定はありますか?

 

いつか日本に戻ってオペラやミュージカルに関わる仕事がしたいという願望はあります。

 

ただ今はアメリカでの仕事しか考えていないですね。

 

ー今まで勉強していた分野と関係ない分野に挑戦するときの秘訣はありますか?

 

学生だったら色んなことに挑戦することが一番いいと思います。

 

やりたい事だけをやるのではなく、機会があれば挑戦したこともないことに取り組むのも1つです。

 

興味なくともやってみたらハマるかもしれないですし、自分から可能性を狭めるのではなく、機会を自分から作ることですね。

 

社会人になってから全く違う分野に挑戦することは正直お薦めしません。大変なので(笑)

 

私も給料を満足いくほど頂いていましたし、人によっては挑戦しない方が幸せだと思います。

 

ただ私の場合は、挑戦するのと、しないとならばどちらが後悔しないかを考えた時に挑戦しようと決めました。

 

その決断に後悔はしていません。

 

みんなが同じ方法で自分と同じように幸せを感じられると思っていませんが、大切なことは自分で考えて後悔しない道を選ぶことではないでしょうか。

 

ー海外に行くにしてもどのタイミングで行くかも大事だと思っています。

 

学生ならば、会社に入ってから仕事が楽しくて海外に行くことを辞めるということもあるかもしれません。

 

それを悪いことだとは思いませんし、それも一つの生き方だと思います。

 

ただ海外に行くのならば遅くとも30歳までに行くことがいいと思いますよ。私も30歳に渡米しました。

 

インタビュー①

留学した時にしてたインタビュー投稿する。

 

【日本を出てアメリカの建築士に】若者こそ視野を広げるべき理由

 

ー学生時代についてお聞かせください。

 

中学3年のときに一人でアメリカに来ました。一年目は移民が多く通う高校に通い、現地の高校に転校しました。学校に日本人は1人もいなかったです。

 

ー中学生だと、両親に心配されませんでしたか?

 

もちろん心配されましたが、自分を変えたかったので。実際のところ家出です。(笑)

 

ー建築の勉強はどの時期から始められたのですか?

 

高校の時からです。大学は芸術学校の建築学部に入学しました。

 

大学では1つの学部の中にカテゴリ―があり、建築学部ではインテリア、ランドスケープなどがあります。その中から、自分のキャリアに合わせて授業を取る人が多いです。

 

ー建築に興味を持ったきっかけはなんですか?

 

私は飛び級で高校2年(10th grade) に転入しました。米国の高校は単位数を満たさないと卒業できないのですが、転入した私は1年分の単位を取得しておらず、取得単位が少なかったため、周りよりも多くの授業を取る必要がありました。そこでたまたま取ったのが、建築の授業でした。

 

いちおう高校がアート系でしたので、アートの授業は充実していました。

 

授業では模型を作ったり、ソフトウェアの勉強をしました。

 

そんな時、その当時の先生が「あなた英語下手くそなんだからこういうことが出来ないとアメリカでは生きていけないぞ」と言われたんです(笑)

その後に市内の高校生の建築コンペがあったので先生に誘われて参加しました。ですが、私は素人ですから期待はしていませんでした。

 

だから発表の日もチャイナタウンで野菜を買っていたんです。突然先生から「今どこにいるの?」と電話がきて、「I’m in China town shopping veggies」と答えました。そしたら、「You got first place! 」と言われて、「はい!?」ってなったのを覚えています(笑)

負けず嫌いなので全力でやりました。期限前3日くらい徹夜しました。

 

前からコンペで1位が取れたら建築士、2位ならインテリアデザイナー、3位ならインダストリアルデザイナーと決めていたので、自分はそこから建築士の道を選びました。

 

このコンペのおかげでグラフィックデザインの会社からインターンシップのオファーが来たのは嬉しかったですね。

 

これがきっかけで建築学科を選びましたが、その前までは建築に行くかも決めていませんでした。

 

ゲームデザイングラフィックデザインを専攻することも考えていました。

 

ー大学入学後はいつ頃からインターンを始めましたか?

 

1、2年生の時はひたすら勉強でした。それで3年生の時からインターンを開始しましたね。

 

ーアートの学生はインターンする会社をどのように探すのですか?

 

私は大学で年に1度行われる展示会で会社にアピールするようにしていました。その展示会に出展する為には世代トップの成績でないとダメなので、授業で良い成績を取る必要があります。

 

展示会には会社の社員が才能ある生徒をハンティングしに来るので、生徒はみんな必死です。そこでオファーを獲得できればインターンです。

 

教授と仲良くなってインターンする道もありましたが、私は展示会で頑張りました。

 

展示会では、自分の作品についてお客さんと話してビジネスカードを渡します。ビジネスカードには、自分のWebサイトや連絡先が書かれています。

 

自分の場合はそれに加えて、自分の作品のポートフォリオのコピーを3冊くらい作って、自分を雇ってくれそうな人に渡していましたね(笑)そうすれば、人事の人に渡せるので。

 

当初の私は語学が他の生徒に比べて劣るので、普通に発表したところでは勝てません。だから私の持つ技術を少しでも見てもらうにはということを考えていました。

 

ーそこでのインターンはどれくらいされたのですか?

 

2年半インターンして、そのまま就職しました。

最近新しい会社に転職したのですが、血眼になって仕事を探しても無視されるだけなので、企業/リクルーター側から食いついてくるの待ってました。

 

転職しつつ、最近Linkedinはアップデートしてません。誰が見てるか分からないし、特に仕事を探してるわけではないので。手元にあるレジュメは常にアップデートしてますが。

 

大学の授業でも、発言が苦手だとグループプロジェクト気を抜くと美味しいところは同期に取られてしまいます。

 

転職の時は自分の条件をリクルーターにハッキリ言うことが大事です。相手もビジネスですからね。私はもともと企業やリクルーターに言われたことを受け入れているだけでした。実力が足りないからあまり選べないと思ってて(笑)

 

だけど上司や教授からもっと条件を言った方が良いとアドバイスされてから、条件を言うようになって、それで決まったのが今働く会社です。

 

ー会社では今どんなお仕事をされているのですか?

 

新築マンションを担当しています。引き継ぎの仕事なので、細かく見れば見るほど色々出てきます。(笑)

 

ー会社に来る仕事内容はどんなものが多いのですか?

 

転職したてでイマイチまだ把握してません。持ってるプロジェクトで精一杯。

 

前の会社ではリフォームとかですね。理想のデザインの写真が何枚か送られてくるので、それを参考にして部屋の3Dモデルをしてクライアントに送ります。

 

あとはクライアント、現場の工事する人とのミーティングをしながら建設するって感じです。

 

ーこれから将来に日本帰る選択肢はあるのでしょうか?

 

今のところはないです。自分としては日本の環境で仕事できるのかという疑問が一番大きいです(笑)

 

アメリカに来て10年経って、日本語表現もおかしくなることが多いので。

 

ー僕のような学生に何かアドバイスがあればお願いします。

 

後悔しないように今しか出来ないことをやるべきだと思います。

視野を広げてみるのも大事だと思います。年上の人と会話してみるとか。日本の外に出てみるのも1つです。

 

「見て経験した数だけ人は変わる」と私は思っています。20代の内にどれだけできるかで今後の人生に影響すると思います。

 

世界には自分が今まで知らなかったような種類の人間が沢山います。そうした人に会うと、考え方が広がるし、その先のBenefitにも繋がります。

 

1点だけを見ることを悪いことだとは思いませんが、それが無くなったら何も残りません。

視野を広げてオプションを持っておくのも悪くないと思います。

 

これは今調子がいい人ほど考えるべきことです。現状に安心するのではなく、将来まで考えて選択することが大切だと私は思っています。

 
 

留学中の日本人と付き合い方

これから留学する学生にとって、日本人の友人を作るかは留学期間が短い人ほど悩むのかなと思う。

参考までに今回は自分が留学中に会った日本人との接し方について記す。

 

留学期間が同じ日本人

日本から同じ時期に来て同じ時期に帰る日本人留学生とは、積極的には交流しなかった。

 

というのも、日本帰っても会おうと思えば会えると思ったから。

 

もちろんだからと言って、避けてしまうとただの性格悪い人になってしまうので会った時に軽く話すくらいの関係だった。

 

正規留学の日本人

アメリカに来てどれくらい経っているかにもよるけど、長期間いる日本人はやっぱり英語が流暢であることが多い。

 

だから自分の場合は、英語の練習相手になってもらったり、現地コネクション紹介、生活で困ったことを質問するなどとてもお世話になった(ありがとうございます)。

 

駐在、現地企業で働く日本人

僕が通う大学はシリコンバレーに位置することもあって、日本人の社会人はたくさんいた。

 

社会人サッカーチームに誘ってもらったり、食事を御馳走してくださったりと頭が上がらない。

 

日本人ネットワーキングイベントは沢山開催されているけど、お勧めはコミュニティに入ってしまうこと。

 

僕の場合は、サッカーチームに入ることで様々な業界企業の社会人から面白い話が聞けた。

 

また、長年住まわれてる方だとイベントに来ることは少ない印象。そしてそんな人ほどアメリカローカルの話が聞けるのでそんな話が聞きたい学生はぜひ(笑)

 

まとめ

とにかく縁を大切にすることに尽きる。誰かと仲良くなれれば、その人の紹介で新しい人に知り合える。

 

それは全世界共通のことであるけど、初めての環境だと尚のこと痛感する。

 

日本人、外国人問わず知り合いが多いほど機会が増えるということ。

 

これから留学される学生は外国人だけでなく、日本人とも仲良くするのもアリだと思う。

留学中のリフレッシュ法

今日はアメリカ留学中に自分がしている気分転換について書いてみる。

 

まず前提として、人間は誰しも新しい環境に適応するときは調子が悪くなることが、データ上証明されている。

 このデータを知って、自分自身妙に安心してしまった。だって鬱になっても「これは絶対になるものなんだ」って思えるし、ならないにせよ、「自分は超人なんだ」って思えるから(笑)

 

冗談はさておき、以下に自分が実際にしているリフレッシュ法を記してみた。

1.運動をする

僕は運動が好きなので、アメリカに来た最初の週から週2~3でキャンパス周りを二周走るのを、先週足を怪我するまで続けていた。

 

単純に健康にも良いし、何より気分転換にもってこいだと思う。運動をして汗を流すと体の中のモヤモヤも出される感じ(笑)

 

ランニングでなくとも、とにかく運動をするのがおすすめです。

2.友達と話す

これも運動と同じ理由。誰かと話していると、他のことは忘れられる。自分は気分転換したいときはとりあえず誰かに連絡していた。

 

アメリカだと寮住み、大学近く住みが多いから、簡単に会えるのがいい。

3.読書、勉強をする

気分転換なので、読書はまだしも勉強は自分の好きなことを勉強するのがいいかなと思う。

自分はこっちに来てから世界史、哲学、政治に興味を持つようになったので日本から持ってきたKindleで読むことが多かった。

ちなみに、Kindleは持ってくるのおすすめです。僕はバスや電車で常にKindleを読んでいます。

まとめ

いざ書き出してみると、しょうもないことだったので記事にするのは申し訳ない気がしてきた(笑)

ただ、冒頭にも言ったように誰でも調子悪くなるので、変に気負わずいることが大事なのかなと。