インタビュー③ 日本からアメリカの医者に
ー大学生時代どんなことをしていましたか?
学生NGO団体に所属して、世界中の国を周り色々な文化に触れていました。それをきっかけに、団体外でのネットワークも広がり世界中に友達が出来ました。
授業を休んで海外に行っていたので、留年してしまいましたが(笑)
ー医学の分野に携わるきっかけは?
小さい頃は病弱だったんです。入院を繰り返す中で、ある時に読んだナイチンゲールの伝記に感動しました。
3歳の時に「わたしナイチンゲールになる!」と言ったのを今でも覚えています(笑)
看護師は当時、褒められた職業ではなかったんです。それでも彼女が家族の反対を押し切り戦地に行って、ろうそくを持ちながら負傷した戦士たちを看護する絵を見て、キラキラしてると思いました。
「この人のように、他の人のためになる仕事をしたいな」と感じました。当時の私にとって、病院は身近なものだったので輝いて見えたんです。
そこから将来ヘルスケアの仕事に就きたいという夢が揺らいだことはありません。
ー医学の勉強を始められたのは大学からですか?
そうです。先生方からは医者だから出来ることを常に考えるように言われましたし、その考えは今でも根本になっています。
研究におけるすべての過程を学習したことは、アメリカに来てからも役立っています。
ーアメリカに来られた経緯を教えてください。
医学部6年生の夏に、短期でアメリカの病院に研修しにきたのが転機になりました。
今までは議論やワークショップ中心だったのが、実際に病床に行って研究することを通じて、もっと勉強しないとダメだと気付きました。
また、「私が身を置きたいのはこんな場所だな」とも思いました。
女性の先生方がキラキラしていたのも印象的でした。日本だと結婚された先生は結婚前ほど働くことが難しいのを目の当たりにしていた私にとって、その環境は魅力的だったんだと思います。
そこからは研修終了前までに病院とコネクションを作り、日本の大学卒業後すぐに戻ってきました。
その後その病院に約6年、外科医として働きました。毎日が勉強の連続でとても充実していました。
印象的だったのが、同僚の医者の方でデータを用いた医療分析をする方が多かったことです。
私は膝に古傷があり、何年かに一回手術をするんですが、その度に訪れるダウンタイムで体を使わずに仕事をする方法を考えていました。
そこで、医療データ分析の勉強を5年くらい前から始めたんです。
痛め止めを飲んで朝の8時から夕方の4時まで学校に通いました(笑)
もともと同僚からデータを使って医療の質を上げる重要性について教えられていたのもあって、この分野の将来性はとても感じていました。
フロントラインに立つ臨床チームを如何にサポートするかを、データと臨床知識を基に行うことは、社会に貢献することに繋がる実感がありましたし、これは私の専門性にも繋がるとも思いました。
確かにこれまでのような医療でも十分に社会貢献はできます。でもデータを用いた医療はこれから増々重要になると私は思います。
これから少子高齢化が進行する中で、医療費の負担は大きくなっていきます。そうなると持続可能な範囲で医療の質を上げることは大事になります。
一人の患者さんを救うにしても多くの人が関わっているんです。看護師にしても医者にしても、誰かが無理をすることで成り立つ構造では長続きしません。
データを用いて効率化を図ることで、医療に関わる皆さんが無理をせずそれぞれの職業の枠組みの中で仕事が出来る、そんな仕組みを作り出す仕事に私のキャリアを捧げたいと思ったんです。
そんなある日、その時も手術後のダウンタイムだったのですが(笑)、友人に「スタンフォード大学で働いてみたら?」と言われたんです。
興味本位でサイトの求人を見てみたら、臨床経験があって、医療をデータで分析するポジションが空いていたんです。
具体的には、医療に質を上げて必要のないものを減らし、コストを下げて経営利益をアップさせる仕事です。
その後すぐに電話面接をし、日本に用事があったので一旦帰国してからスタンフォード大学に対面面接しに行きました。オファーをもらってからは引っ越し準備して直ぐにカリフォルニアに来ました。
手術後すぐだったので、全ての移動を松葉杖でこなしましたね(笑)
ー仕事内容を詳しく教えて頂けますか?
私のチームは臨床ではなく病院の経営部門の1つという扱いです。
私たちは病院全体のデータを見ることで、どこの患者さんの余地がありそうかを確認し、患者さんごとに細かくチェックしていきます。
あとは先ほども言ったように医療の現場では様々な人が一緒に仕事をしているので、コミュニケーションがボトルネックになります。
そこで私たちは対応が遅れないように、経営層と連携を取りつつ現場に具体的な指示を送ります。
患者さん一人一人の入院から退院までのガイドラインを現場でのシステムに組み込むんです。
アメリカはマニュアルをシステムに組み込むことで改善する文化があります。日本は特定の誰かに頼って改善することが多い印象ですね。
ー実際に働かれる中でやりがいを感じるのはどんなときですか?
自分たちの提案した施策が病棟で実際に使われているのを見た時ですね。
私たちが作成したガイドラインに沿って患者さんが生活しているのを見ると嬉しいです。
ー経営層や現場と交渉する作業は骨が折れるかと思うのですが、なにか工夫されてることはありますか?
まずは普段から信頼関係を築くことです。
2つ目は、データを活かした提案を意識することです。感覚での対応も大切ですが、データ解析の結果を示すことも重要です。
これはただ分析結果を話すのではなく、説得内容を様々な視点から考えてストーリーを作るということです。そのためにデータが必要なんです。
ストーリーとは、客観的に現状を伝えるところから、その問題の解決策を提示するまでです。
このストーリーをいくつも考え、データが最もサポートできるものから順に優先順位をつけ、それぞれになぜこの解決策が出るに至ったか迄の理由付けも行うんです。
いわゆるコンサルティング的な役割ですね。
ー異なる分野に精通するエキスパートの方が最近のアメリカでのトレンドになっている気がするのですが、どう思いますか?
他の分野はわかりませんが、医療、データ、ビジネスを掛け持っている人は強いと思います。
私も以前夜間のビジネススクールに行っていたこともあるのですが、一時的なものであったので、勉強を再開させたいです。
どの分野にも言えますが、同じ言葉を話すことは大事です。
医療の場合は、ビジネスの方と臨床の方、データサイエンティストの方とでは話す用語が異なります。
どの職業も必要不可欠ですし、それぞれを繋ぐという意味でも異なる分野を理解することは重要だと感じています。
ー日本とアメリカとで医療の現場での違いは感じますか?
私は日本での現場経験が浅いので考察も短絡的になりますが、日本はフロントラインへの期待が大きいと思います。
従業員の能力が高いことに依存してしまい、誰かが無理をしてしまっている構造です。
だから効率性を考慮せず、それぞれが自分の時間を犠牲にして勤しむという結果に繋がっています。
アメリカはシステマチックに全体を作り、その通りに従業員を働かせようとしている印象です。
あとアメリカはオンとオフがしっかりしていますね。オフの時に仕事の連絡を受けても気にしないことが多いです(笑)寧ろそれで仕事をしたら問題になります(笑)
ただ緊急の要件にも対処できるようにチームでタスクを共有し、チームで対処します。
つまり、従業員のQuality of Lifeが保証されている感じです。「家族の時間」への考え方が違うのかなと思います。
医者1人が受け持つタスクの量が全く違うんです。誰でもできるペーパーワークは事務に任せ、医者だから出来る仕事に集中できる環境が整っています。
高い給料を払って簡単な仕事をさせることは、働く側、働いてもらう側両方にとってもったいないですよね。
ー逆に日本の良さは何だと思われますか?
勤勉さ、真面目さです。良さを引き出す構造を経営層が作ることが大事なんじゃないかと思います。
ー日本に戻って仕事することは考えたりしますか?
私の強みは臨床、データ、経営の視点から医療現場を効率化することなので、そうした仕事でお手伝い出来たら嬉しいです。
ー将来取り組みたいことはありますか?
医療ケアをRedesignする取り組みをアメリカ中に普及させたいです。そのために私たちがモデルになれば嬉しいし、他の病院に赴くことも考えています。
あと自分を育ててくれた日本への恩返しもしたいです。日本は医療データが足りないので、まずは使えるデータを集める構造を作るところから携わりたいと思っています。
そこから医者への負担が大きい今のストラクチャを変えられたら良いですね。
ー学生へのアドバイスがあればお願い致します。
勉強しましょう!!
私が今凄く感じるのが学生の時にもっと勉強していればということです。
学生のうちは勉強するように言われても意味が分からないかもしれませんが、勉強しないと社会に出てから後悔することが多くなるんじゃないかと思います。
では何を勉強するべきか。まずは客観的に自分の強みを考えるところから始めましょう。
本を読むよりも色んな人と話す方が良いです。そうすれば自分の強みやそれが生かされる場所が見えてくるはずです。
分からないことがあればその都度、もがくべきですし、人に会うべきです。